スライダーが武器だった伊藤智仁投手
「ガラスのエース」というフレーズを聞いたことがある人はいるでしょう。エースと呼ばれながらもケガのために活躍できず短くして現役を終えてしまった選手は少なくはありません。そんな野球ファンの心に残る選手の中には今でも語り継がれる魔球の使い手がいます。元ヤクルトスワローズ投手、伊藤智仁投手です。
1993年に野村克也監督率いる東京ヤクルトスワローズに入団した伊藤智仁選手は1年目から大活躍します。先発投手として援護が少ないながらも奪三振の多い鮮やかな投げ味で観客を魅了しました。
特にその高速スライダーはテレビ越しに見ていても大きく曲がっているのがわかるまさに魔球でした。これを武器に右打者の腰を砕けさせていったのです。
しかし、入団以前から悩まされていた右肩のルーズショルダーが牙をむきます。先発投手として長いイニングを投げていた伊藤智仁選手の肩は無理に悲鳴を上げ、シーズン開幕から3ヶ月、2軍への降格を余儀なくされました。
しかしこの3ヶ月で上げた7勝、4完封が評価されたのか、この年あの松井秀喜を抑えてセ・リーグ新人王に輝きます。彼の輝きはこの頃が最高でした。
その後もルーズショルダーに悩まされた伊藤投手は2004年にユニフォームを脱ぎます。現在、投手コーチとして後進の指導に当たる彼の現役時代の輝きを野球ファンは名選手として心に刻んでいるのです。
スポーツの世界で「たら」「れば」はなしですが、もし伊藤智仁投手が故障をしなければ、どんな大投手になっていたかと思うと残念でなりません。