名打者・イチローと松井秀喜
1990年代半ばから2000年代初頭にかけてセリーグで活躍した松井秀喜、パリーグで活躍したイチローは、日本のプロ野球界に残る平成の名打者です。
そのうち、1992年オリックスに入団したイチロー(当時は鈴木一朗)は2年目までは1軍にて活躍する事が出来ずにいました。しかし、パンチ佐藤氏と共に登録名をイチローに変更した3年目(1994年)は開幕戦からレギュラーとして試合に出場し、驚異的な打率をキープし続けます。2年目まで活躍できていなかったため、その打率は落ちてくると予測する人もいたものの秋まで安定して活躍し、シーズン200本安打という大記録を達成しました。その後もMLBに移籍するまでパリーグ首位打者を獲得し続け、MLBでも数々の記録を作ってきた選手です。
一方、1993年に巨人軍に入団した松井秀喜は2年目までは苦しんだイチローとは対照的に1年目の夏から1軍の試合で大活躍するようになりました。2年目からは完全にレギュラーを獲得して年々本塁打数は増えていき、1998年には初めて本塁打王を獲得しています。日本球界でのハイライトと言えるシーズンは2002年で王貞治氏の1シーズンあたりの本塁打数記録に迫る50本のホームランを打ちました。打率についても3割以上の高い打率を維持し、結局、福留孝介選手に首位打者のタイトルはとられてしまったものの、2冠(本塁打王/打点王)に輝いています。そんな松井選手も2009年のワールドシリーズでMVPを獲得するなどイチロー選手同様にMLBに移籍してからも華々しい活躍を見せました。